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ジェフリー・サックス『キラーネット/殺人ゲームへようこそ』1998年

キラー・ネット?殺人ゲームへようこそ?【日本語吹替版】 [VHS]

キラー・ネット?殺人ゲームへようこそ?【日本語吹替版】 [VHS]

 

 

リンダ・ラ・プラントの脚本によるイギリスのTVドラマ・ミニシリーズ(全4話205分)。日本では113分の総集編がソフト化されている。


パソコンを愛好する大学生スコットは、テキストチャットでリッチ・ビッチを名乗る人物と会う約束をする。待ち合わせ場所に現れたのは、ウィリアム・ギブスンを愛読し、コンピュータの知識も豊富な謎めいた美女チャーリー。スコットは彼女に夢中になるが、たちまちのうちに振られてしまう。


傷心のスコットは、アダルトビデオチャットで知り合ったセクシー・セイディから「キラー・ネット」というCD-ROMを入手する。それは「ストーキング」「殺人」「死体処理」「取り調べ」の4ステージから成る完全犯罪ゲームで、一度クリアすると、次は実在する人間の個人情報を入力してよりリアルな殺人ゲームがプレイできるというものだった。


スコットは、チャーリーに弄ばれたばかりか、ネットの伝言板に悪評を流されたことへの恨みから、憂さ晴らしにキラー・ネットに彼女の名前を入力。すると現実に、チャーリーが何者かに殺害される事件が起きてしまう……。


「ゲーム感覚で殺人を犯す」とか「現実と虚構の区別がつかなくなる」というのは、大抵、デジタルゲームへの偏見に満ちた陳腐な批判にすぎない。しかし自分が初めてゲームやネットに触れたときのことを顧みるなら、NPC(ノンプレイヤーキャラクター)が自分の名前を呼んでくるとか、匿名アカウントのみを介した人間関係が生まれるといった、現実と虚構の認識が(ささやかにではあるが)揺らぐような瞬間に高揚感を覚え、何かしらの背徳感を味わっていたこともまた事実だろう。1998年というネット普及期に制作された『キラーネット/殺人ゲームへようこそ』は、そうした魅力をうまくすくい取っている。


例えばキラー・ネットの起動直後、ゲームの舞台を四つの街から選べという指示が出され、スコットが暮らすブライトンの地図が表示されるとき。スコットが出来心でチャーリーの名前を入力するとき。あるいは刑事たちがパソコンの前に集い、やいのやいのと言いながら押収したキラー・ネットをプレイするとき。

 

同作は、プレイヤーの「選択」や「入力」といった行為がウェブ/ゲーム画面に如何に反映されるかを丁寧に描写する。それにより、「ボタンを押すと反応する」(さやわか)というシンプルな原理に備わる快楽が強調されると共に、そうした行為の結果として起きる殺人事件の後味の悪さも倍増するのである。