映画批評MIRAGE 6号
映画批評誌「MIRAGE」6号に、インタビューと拙論「生まれたときから揺れていた ― 揺動映画への招待」を掲載していただきました。映画研究者の村山匡一郎氏と名前を並べていただいて光栄ですというか恐縮ですというか……なのですが、ともかく、ぜひ手にとってお読みいただけたらと思います。
インタビュー「手ぶれ映像の複数性」では、映画『土瀝青』の話を中心に、郊外という場所を撮るための方法論や、わたしが手持ちカメラ/手ぶれ映像に対して感じている可能性について喋っています。また「生まれたときから揺れていた ― 揺動映画への招待」と題した論考では、このブログでも書き進めている「揺動メディア論」の核になる問題意識と、重要な作家・作品を手広く紹介しています。おそらくこれまでに書いたものの中ではもっともコンパクトかつ明快な内容になっていると思いますので、ご興味のある方はぜひ。ただ、わたしのミスで一部、訂正箇所があります(編集部のみなさま、本当にごめんなさい)。
すべて読み終えたわけではないのですが、掲載原稿の中では鈴木祐太氏の論考「スクリーンのその先に ― 特撮と映画」が興味深い内容でした。鈴木氏はこの論考で、特撮やVFXを「どこまでも現実に漸近したものを目指す」ものとしてのみ評価する(そのため日本映画の特撮はしばしばハリウッド映画に対して「稚拙である」とか「リアリティがない」といった評価を下されてしまう)ような観客たちの傾向を「視覚的リアリズムの陥穽」と呼び、それに対する別の「リアリティ」や特撮・VFXの可能性を、黒沢清の『リアル~完全なる首長竜の日~』や日本の特技監督・中野昭慶が手がけた諸作品の中に見出しています。
また、内山菜生子氏の「映画のおばけ」と題するエッセイも非常に面白かったです。通常あまり大々的に書かれることこそないものの、もしかしたら「これこそ映画体験!」と言われるべきかもしれない、重要な問題を扱っているように思います。
以下、目次を転載しておきます。
映画批評MIRAGE 6号
インタビュー
佐々木友輔「『土瀝青 asphalt』/手ぶれ映像の複数性」
村山匡一郎「映画の教育者として/山形映画祭」
特集 なぜ映画なのか?
映画と死者を思い出すこと 慶野優太郎
生まれたときから揺れていた ― 揺動映画への招待 ― 佐々木友輔
世界がぜんぶタイムマシンだったなら、と誰かが 大内啓輔
スクリーンのその先に ― 特撮と映画 ― 鈴木祐太
「夢」としての二郎の人生―『風立ちぬ』から見えてくるもの ―若林良
ラブストーリーで考える 『きみに読む物語』と『ウォーリー』を例に 今村竜士
エッセイ
かけがえのない出会いたちへ 若林良
映画のおばけ 内山菜生子
レポート
新米プログラムディレクター奮闘記 二宮夕季
ニューヨーク、コロンビア大学院より 鳩飼未緒
イフラバ国際ドキュメンタリー映画祭 2013レポート 慶野優太郎
映画館紀行 テアトル石和 東山みのり
100席の映画館が観客を待っている 石田晃人
シリーズ 映画無名人
購入方法などは以下から。