空間的ドキュメンタリーの可能性——『データを紡いで社会につなぐ』について
2011年に開催した展覧会「floating view "郊外"からうまれるアート」でわたしは、「郊外」と呼ばれる——ある時はユートピアとして、またある時はディストピアと看做された——立場なき場所からこそ生まれ得る表現のあり方を模索し、そのひとつの可能性をAR(拡張現実)という技術に求めた。その後、様々な事情も重なって自分自身がARを用いた制作を展開することはできなかったが、同展にも参加していただいた詩人ni_kaさんの、技術を通して身体と記憶を空間に編み込んでいく「AR詩」「AR詩劇」をはじめとして、ARのポテンシャルを掘り下げていく試みは様々なところで継続されている。
「floating view」の頃に考えていたことを思い出しながら、また、現在わたしが携わっているあるライブラリーの仕事について考えながら、渡邉英徳氏の著書『データを紡いで社会につなぐ デジタルアーカイブのつくり方』(講談社現代新書)を読み進めた。文脈も語彙も一見まったく異なるように見えるけれども、わたしはこの本を、新しい「ドキュメンタリー」のあり方を提案するものとして受けとった。
データを紡いで社会につなぐ デジタルアーカイブのつくり方 (講談社現代新書)
- 作者: 渡邉英徳
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/11/15
- メディア: Kindle版
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デジタルアーカイブおよび渡邉氏の活動はドキュメンタリーの分野に新鮮な風を吹き込むだろうし、また逆に、ドキュメンタリーが重ねてきた議論の蓄積はこれからのデジタルアーカイブの発展に大きな貢献をすることができるだろう(いつかneoneo誌が特集を組んでくれたら、と密かに期待している)。このことはいずれ深く掘り下げていきたいのだけど、ひとまずここでは、現時点で思いついたことをメモしておくことにする。
アーカイブと呼ばれるものが、完全に「客観的」でも「中立的」でも有り得ないということは、その現場に携わる者、あるいはそれに強く関心を持つ者にとっては言うまでもないことであるが、そうした警戒心を持たずにアーカイブに接するひとも少なくないようだ。「アーカイブもフィクションである」ということは、常に頭の片隅に置いておく必要がある。資料収集の基準や方法、ソート可能な項目の作成やタグ付けのやり方次第で、アーカイブは如何様にもその姿を変える。ある情報を意図的に隠すことだって、強調することだってできるのだ。
アーカイブとドキュメンタリー、さらにフィクションとノンフィクションの問題について考える時、真っ先に思い出すのは、スティーブン・スピルバーグの『シンドラーのリスト』公開に端を発するショアー論争だ。『シンドラーのリスト』で強制収容所での大虐殺をフィクションのドラマとして再現したスピルバーグに対して、クロード・ランズマンは想像を絶するような出来事の表象不可能性を訴え、フィクショナルな再現映像や当時の記録映像を一切用いずに、様々な立場で惨劇を目撃した者のインタビュー映像を組み合わせたドキュメンタリー『ショアー』を制作した。いっぽうスピルバーグは、『シンドラーのリスト』の制作と同年に「ショアー財団」を設立、ショアーを生き残った者たちへのインタビュー映像を可能なかぎり撮影・収集してアーカイブ化するプロジェクトを開始している。これは2000年頃の時点で、おおよそ56カ国・5万2000人もの人びとに1〜2時間ずつのインタビューを集めた——総計17000時間にも及ぶ——巨大なアーカイブとなっている。このプロジェクトについて、堀潤之氏は以下のように指摘している。
最大の問題点は、インタヴューの内容が、あまりにも画一化・形式化されていることである。まず、生還者や目撃者は、インタヴューを受ける前に、四〇頁にわたる分厚いアンケート用紙を渡され、生誕地、教育、戦時中の経験、家族構成などの項目を記入しておく。そこに、ショアー財団のトレーニングを受けたインタヴュアーが派遣されて、戦争の前、最中、後の状況についてインタヴューが行なわれ、それがヴィデオ撮影される。このようにして集められたデータは、デジタル化され、さらに町や村などの地名や、収容所生活の描写(時間感覚についてなど)のおよそ三万におよぶキーワードによって、インデックス化・カタログ化される。
もちろん、このプロジェクトが、真摯な目的意識を持って、デジタル・テクノロジーを有効に活用し、きわめて便利で意義のあるデータベースを構築していることは疑い得ない。教育目的のために、インターネット2を用いた配信なども計画されている。しかし、画一化されたインタヴュー方式およびカタログ化は、どこか警察が調書を取るときのような「権力の視線」を感じさせずにはいない。この膨大な証言データベースの一端は、財団のホームページ(http://www.vhf.org/)や、ハンガリー出身の五人の生き残りに焦点を当てた長編映画『最後の日々』The Last Days(ジェイムズ・モル監督、一九九八)で見ることができるが、後者の作品は、データベースから抽出された証言の内容に合わせて、ホロコーストのアーカイヴ映像がほとんどプログラムによって半自動的に選び出されているかのような様相を呈しており、それぞれの生き残りの固有性が、単なるデータに還元されているという印象を払拭することができないのである。(データベース映画 1 | 堀潤之 ‹ Issue No.37 ‹ 『10+1』 DATABASE | テンプラスワン・データベース)
わたし自身、ショア財団のアーカイブはインターネット上で見られるものの一部と、アーカイブ映像を素材に約77分に編集された『生存者たちの声』、財団の活動を紹介する『The Shoah Foundation』(どちらも『シンドラーのリスト』DVDに特典映像として収録されている)しか確認できていないが、たしかにこの試みは「かなり問題含み」であるように感じた。特に『生存者たちの声』は、まさに「データベースから抽出された証言の内容に合わせて、ホロコーストのアーカイヴ映像がほとんどプログラムによって半自動的に選び出されている」かのようであり、人びとの声が目的のための「素材」として、たんなる情報として処理されているような気持ち悪さが拭えなかった。素材倉庫としてのアーカイブ——もちろんそれが有益な場面もあるだろうが、扱う対象次第では、許されない事態を引き起こすこともある。一度でもじぶんでインタビューを撮影してみれば分かるが、複数の人びとに同じ形式・同じ質問を重ねていくというのは、とても残酷なことである。目の前の人間の言葉に真剣に耳を傾けようとするならば、自ずと当初の目論見や予定は早々に崩れ去り、形式は保たれず、その度ごとにひとつずつのかたちを模索していくほかなくなるはずだから。そしてそれは、ドキュメンタリー映画作家たちが常に直面してきた課題であり、映画を撮る上での大前提となっていることである。
渡邉氏が展開しているデジタルアーカイブの活動もまた、人びとの記憶の均一化・標準化の危険と隣り合わせである。けれども『データを紡いで社会につなぐ』を読んでみると、まさにドキュメンタリー作家が直面するような前提の崩壊、記録される側が記録する側を変えていくようなエピソードがところどころに散りばめられていることに気づく。入門書的な体裁のためにさらりと触れられているだけだけれども、実際にはとてつもない困難をいくつも経験し、そこでそれを事務的に処理するのではなく、ひとつひとつの問題に真摯に取り組んでいったのだということが想像できる。またこれに関連して、わたしは、渡邉氏が「ツバル・ビジュアライゼーション・アーカイブ」や「ナガサキ・アーカイブ」といった人びとの記憶を扱ったアーカイブのプロジェクトを「作品」と呼ぶことが、とても大切で重要なことだと感じる(p.145)。彼は建築家が自らの設計した建築物を「作品」と呼ぶのに近いスタンスであると述べているが、これは、ドキュメンタリー作家にとっての「作品」にも近いと思う。たくさんの人びとの想いや利害関係の中に身を投じつつも、設計者として、編集権を握った者として、それをひとつのかたちにまとめあげる責任を引き受けること。「客観的」であることや「中立的」であることを偽装せずに、これはわたしの視点が介在しているのだと宣言すること。「作家」を名乗る者が「これはじぶんの作品だ」と宣言することの意味は、そこにこそあるはずだ。
以上のようなことを踏まえて、では、「ツバル・ビジュアライゼーション・アーカイブ」や「ナガサキ・アーカイブ」に見出せる可能性とはどのようなものか。それは、これまでのドキュメンタリー映画が基本的に抱えていた単線的な時間から解放され、「空間的ドキュメンタリー」とでもいうべきものをつくりあげることができるのではないか、ということである。収集した資料や情報が映画にとっての「ショット」であるとするならば、それをGoogle MapやGoogle Earthなどのデジタル・マップ上に配置していくことは、空間的な「モンタージュ」の試みであるということが言えるだろう。もちろん、扱っている情報とマップとの間には、作者(設計者/編集者)の意図以前の対応関係がある(例えば、Aという場所で撮られた写真を地図上のAの位置に紐付けるからこそ意味があるのであり、その対応関係を無視して情報を闇雲に散りばめるだけでは、マッピングとは言えない)。けれども、そもそもどのような情報をマップ上に並べるのかを選択し、実行するのは作者である。収集した情報の量や質、アプリケーションの処理速度・容量、マップ自体が持つ個性や偏向性を考慮しながら、情報を配置し、それらの空間的な関係性のうちに意味や価値を生成していくこと。これは空間的なモンタージュと呼んで差し支えないのではないか、と思う。
こうした空間的モンタージュが力を発揮するのは、例えば以下のような場面である。少し長いが引用する。
長崎への原爆投下について、とくに県外の方や若い世代のなかには、ある種の先入観を持っている方がいるように思います。
目標地点にほぼ忠実に投下された広島原爆とは異なり、長崎の場合は天候が悪く、たまたま現れた雲の切れ間に原爆が投下されました。長崎駅ちかくの中心街からみると、郊外です。このことを受け「長崎原爆は街はずれの山あいに投下されたため、比較的被害が少なかった」とった記述をときおりみかけます。
しかし、実際の被爆地は地獄絵図となっていました。原爆によって、当時の人口約24万人のうち約14万9000人が被害を受け、約36パーセントの建物が全焼、全半壊しています。これを「少ない」被害と表現することはできるでしょうか。「街はずれ」「山あい」といった一面的な情報がひとり歩きすることによって、そうした偏ったイメージがつくりだされてきました。
それに対してナガサキ・アーカイブでは、すべての資料が、グーグルアース上にいちどきに表示されます。このことにより、原爆による被害の全体像について、まずはおおまかなイメージを示すことができます。どれかひとつの資料のみが強調されるということはありません。(p.144)
このような俯瞰した視点では、例えば『ショアー』のようにひとりずつの人間の声を聴きとるようなことはできない。その意味では、人びとの記憶が点(タグ)として均一化・標準化しているとも言えるだろう。けれどもその代わりにこの「風景」は、ある時代・時間・瞬間を生きた人びとが「この時わたしはここに立っていたのだ」という入れ替え不可能な情報をわたしたちに見せつける。東日本大震災と原発事故を経験した今なら、このことの切実さがじゅうぶんすぎるほど理解できるだろう。わたしはあの時、そこに居なくても良かった。別の場所に居たかもしれなかった。しかし現実にわたしはあの時、そこに居たのだ——このような理不尽極まりない生の偶然性と、その重みが、たんなる情報として描画されているに過ぎないマップとその上のタグから想起される。それは、表象不可能な出来事を表象したフリをする試みなのではなく、追体験不可能な出来事をそれでもできるかぎり想像せよと訴えかけてくるものである——そのようにわたしには感じられた。このような経験は、「長崎原爆も多くの被害を受けた」といったような言葉での説明では決して得られなかったものだ。
『データを紡いで社会につなぐ』、さらにウェブ上で実際に閲覧できる「ツバル・ビジュアライゼーション・アーカイブ」や「ナガサキ・アーカイブ」などを見て感じたことは、ほかにも、ユーザによる視点の切替可能性や、レイヤー構造によるひとつの場所への多層的な眼差し、そうした作者とユーザの相互関係を通しての新たな現実の創造(ただし、このように複数の選択肢が与えられることによって、そもそも与えられていない選択肢が見えなくなってしまう危険性もある。観客参加型やインタラクティブ・アートを銘打つ作品がしばしば予定調和に陥ってしまうという問題もある)など、いろいろとある。……最初は拡張現実の話をしようと思い書き始めたのに、そこまで到達することもできなかった。ともかく、すぐにまとめられるものではなさそうなので、今後少しずつ考えていけたらと思っている。