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揺動メディアについて。場所と風景と映画について。

映画にとってインターネットとは何か(6)  Jホラー・ネットロア・モビリティ

 

  レンタルビデオショップから見える風景 

 たまにはパソコン画面から離れて、街のレンタルビデオショップに出かけてみよう。DVDがずらりと並んだ棚を見渡してみると、インターネットで「インターネットを扱った映画」を検索した時とはまったく異なる風景が広がっている。

 これはわたしが見た某店舗の例。そこでは、グーグルの検索結果では目立っていたサイバー犯罪映画(ハッカー映画やネットワーク利用犯罪映画)の存在感が驚くほど薄い。というのも、そこには「サイバー犯罪」というジャンルの括り自体が存在せず、該当する作品は「サスペンス」や「アクション」といったジャンルの棚に分散して置かれているからだ。

 一方、店内でひときわ目を惹いたのがホラー映画――しかも日本のホラー映画の棚である。そこには、インターネットを意識して付けられたタイトルや、2ちゃんねるYouTubeなど有名サイトを直接的・間接的に模倣したタイトルがずらりと並んでおり、10巻を超えるシリーズ化作品も珍しくない。

 例えば——明らかにインターネット登場以後の映像環境を意識しているのであろう——「動画」という語を冠したシリーズを拾ってみても、一度はネット上で公開されたが後に削除・封印されたいわくつきの動画を集めたという触れ込みの「Not Found -ネット上から削除された禁断動画」(古賀奏一郎・吉川久岳、1~19巻、2010年~)、同様に心霊映像から犯罪行為まで表に出せない映像ばかりを集めたという「闇動画」(児玉和土、1~11巻、2011年~)、同作のスピンオフとして対象を心霊映像に絞った「心霊闇動画」(佐々木良夫、1~6巻、2014年~)、監修の怪人Kが呪死を覚悟で(しかもお祓いを済ませることなく)世に送り出した「本当にあった怨霊恐怖動画」(1~11巻、2013年~)、怪談投稿サイトを主宰する住倉カオス監修による「恐い動画 限定解禁」(1~7巻、2012年~)、その他「絶対に怖い動画」(製作・酒匂暢彦、大橋孝史、1~3巻、2012年~)や「本当の心霊動画」(製作・島野伸一、庄子圭、監督・木場丈、「影」1~16巻、「呪」1~13巻、編集版1~3巻、2012年~)、「ノロイノドウガ 怖すぎる心霊動画集」(魚田童夢、怨編・憑編・うらみ編、2014年~)など、無数の作品が制作されていることが分かる(巻数はすべて2015年3月時点)。数だけで言えば、サイバー犯罪映画をはるかに凌いでいるのだ。

 ただしこれらのシリーズが皆、この連載の考察対象である「インターネットを扱った映画」に当てはまるかどうかはまた別の問題である。確かに中には、ウェブ動画的なルック(画面全体の雰囲気、画調)を採用した作品や、短編ごとの有料ウェブ配信を試みるシリーズなど、興味深いものも混ざっているのだが、ほとんどはネット以前から存在するような心霊映像の紹介や体験談・再現ビデオで構成された作品ばかりで、物語や主題に直接インターネットが関係しているものは僅かしかない。要するに、以前ならば「投稿ビデオ」や「心霊映像」と銘打たれていたものが、「投稿動画」や「心霊動画」という語に置き換えられただけなのだ。

 

 三つの分類

 ひとまず本論の主旨に沿わないものは除外して、インターネットがその作品の成立に不可欠な要素となっているものに絞ってホラー棚を調べ直してみた所、大きく分けて三つの傾向に分類することができそうである。

 ひとつめは、前回取り上げた黒澤清の『回路』(2001年)に代表される超常ホラー映画である。例えばメディアを通じた呪いの感染を描く「リング」シリーズのリブート的フィルム『貞子3D』(英勉、2012年)では、時流に合わせて「呪いのビデオ(VHS)」から「呪いの動画」にメディアを移行。ニコニコ生放送で配信されたいわく付きの動画を見た者が次々と不審な死を遂げていく。他にも、ブレイク前の染谷翔太が出演している『DEATH FILE』(福田陽平、2006年)では、名前を載せられた者が死に至るウェブサイトを開設した超能力者を追う女刑事の物語が語られ、乃木坂46中田花奈が主演をつとめる『デスブログ 劇場版』では、名前が書き込まれた人物に次々と不幸が起こる女子高生の個人ブログの恐怖が描かれた。

 

 

DEATH FILE [DVD]

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デスブログ 劇場版 [DVD]

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 分類の二つめは、第4回に取り上げた福田陽平の『殺人動画サイト Death Tube』や続編『殺人動画サイト Death Tube 2』(共に2010年)、『学校裏サイト』(2009年)のように、ゲーム的なネットワーク利用犯罪を扱ったホラー映画である。坂牧良太が2012年に制作した『死刑ドットネット』では、「死刑ドットネット」というサイトに集った6名の参加者がそれぞれ殺したい人物の名を挙げ、役割分担をして交換殺人を遂行する。殺人を躊躇った者や失敗した者には、罰ゲームとして自らの死が待っているのだ。

 

死刑ドットネット [DVD]

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 分類の三つめは、「投稿」という体裁をとったホラー映画である。これはさらに、視聴者から送られてきた心霊写真や心霊映像などを紹介する(フェイク)ドキュメンタリー的な作品と、視聴者の恐怖体験談やインターネット上の都市伝説などをもとにした再現ビデオ的な作品に分けることができ、先ほど紹介した「動画」という語を冠したシリーズは多くが前者に当てはまる。後者の代表的な作品としては、永江二朗が手がける「2ちゃんねるの呪い」シリーズ(2011年~)や『ツイッターの呪い』(2011年)、福田陽平『ことりばこ』(2011年)などが挙げられる。これらの作品も基本的には体験談や都市伝説を映像化したというだけで、必ずしも物語や主題にインターネットが深く関わるわけではないのだが、中には、原作自体の性質も手伝って、本論の問題意識に関わるような興味深いフィルムも含まれている。

 

2ちゃんねるの呪い VOL.1 [DVD]

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ことりばこ [DVD]

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 永江二郎『2ちゃんねるの呪い 劇場版』

 永江二郎が2011年に制作した『2ちゃんねるの呪い 劇場版』は、匿名掲示板「2ちゃんねる」のオカルト板などに書きこまれた怪談を映像化した短編オムニバス・シリーズの長編映画化である。ただし本作ではオムニバス形式をとらず、2ちゃんねる発の怪談の中でも屈指の知名度を誇る「赤い部屋」と「鮫島事件」を混ぜ合わせ、ひとつの物語にまとめている。視覚面でも、『リング』をはじめとして先行するJホラーからの影響が色濃く見られ、全体的に無節操な寄せ集め感が強いフィルムとなっている。

 


映画『2ちゃんねるの呪い 劇場版』予告編 - YouTube

 

 しかしこのような特徴は、必ずしも汚点とはなっていない。2ちゃんねるをタイトルに冠したフィルムとしては、それこそが「正しい」ありかたではないかとも思えるのだ。

 「赤い部屋」や「鮫島事件」のようにインターネット上に投稿され拡散していく怪談や都市伝説は、「ウェブ怪談」や「ネットロア」と呼ばれている(ここではネットロアの語を採用する)。怪しげで広大なネットロアの世界を眺めていると、どうしても民俗学的な興味をそそられるだろう。例えばRootportによるブログ記事「いかにして『八尺様』は生まれたのか/Web怪談と現代のオカルト」(2012年)や広田すみれと高木淳による論文「インターネット上でのネットロアの伝達と変容過程」(2009年)でも論じられているように、ネットロアは不特定多数の人びとによって語られていくうちに内容が変化し、無数の異本が生成されていく。自動車事故を免れた男に「死ねば良かったのに」と囁く不気味な幽霊も、ネット上を徘徊するうちにいつしかツンデレ属性が与えられ、ついにはその男にお弁当をつくるようになるのである。

 永江はこうしたネットロアの魅力を理解しているのではないだろうか。『2ちゃんねるの呪い 劇場版』は明らかに、「赤い部屋」と「鮫島事件」の正統な起源を探り出すことや、原作を忠実に映画化することを目指していない。本作の特徴である雑多な寄せ集め感は、これもまたネット上に遍在する無数の異本のひとつにすぎないのだと規定する、映画自身の謙虚さの現れのように見えるのだ。

 こうした態度は映画のラストにも端的に示されている。主人公すらも無惨に殺されてしまう救いのない展開は、実はすべて作中のある人物の妄想であり、2ちゃんねるにネットロアとして書き込まれた創作であったことが明かされるのだ。

 これを、悪名高い「夢オチ」の変形であると見ることもできよう。しかし夢オチには、作中の出来事をすべて引っくり返してしまうことの無責任さばかりでなく、どこか甘美な印象も備わっている。しばしば「映画」と「夢」は似たもの同士として結びつけられるのであり、夢オチは映画の経験を否定するのではなく、むしろ強化する方向にも働くだろう。それと比べれば、『2ちゃんねるの呪い 劇場版』の妄想オチはあまりに身も蓋もない。そこには甘美さなど微塵も感じられないのだ。

 この後味をあえて表現しようとするならば、評論家・ライターのさやわかが『一〇年代文化論』で取り上げたキーワード「残念」がもっともふさわしいのではないだろうか。本来のネガティブな意味だけでなく、その何とも言えない微妙な感じをポジティブにも受けとめていこうというニュアンスを含んだ「残念」という語が、ネット上を中心として2007年頃から用いられてきたということを踏まえれば、2010年代初頭に制作された本作は、その名に違わず、首尾一貫して日本のインターネット文化に寄り添ったフィルムであると見ることもできるだろう。

 

一〇年代文化論 (星海社新書)

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2ちゃんねるの呪い 劇場版

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 福田陽平『学校裏サイト

 続いて、福田陽平が2009年に制作した『学校裏サイト』を見てみよう。

 


学校裏サイト - YouTube

 

 本作では、あるプロフサイトに登録した高校生たちが、勝者には賞金と安全、敗者には他人に知られたくない秘密の暴露というルールのもとに、互いの携帯電話を奪い合うサバイバル・ゲームを繰り広げる。このあらすじからも窺えるように、2000年代に社会問題化した「学校裏サイト」をめぐる問題とはあまり関係がない(学校でのイジメの描写などはあるものの、おそらく時事ネタからタイトルをいただいてきたという以上の意味はないだろう)。本作の見所はそこではなく、ゲームを進行するためのアイテムとして登場する携帯電話にある。

 粉川哲夫が、インターネットの実態を映像化した映画の不在を指摘する一方で、携帯電話はすでに映画に欠かせない小道具として重要な位置を占めていると述べていたことを思い起こそう(『90年代アメリカ映画100佐野亨 編、大場正明 監修、芸術新聞社、43頁)。なるほど携帯電話は、パソコンやインターネットほどの異物感はなく自然と映画世界に入り込み、ありふれた日常の道具として画面に馴染んでいるし、三池崇史が第一作の監督をつとめた「着信アリ」シリーズ(2004年~)のように携帯電話を物語の中心に据えて成功したフィルムもすでにつくられている。では、両者の差はいったい何に因るものなのか。

 

着信アリ(通常版・2枚組) [DVD]

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 『学校裏サイト』を見て気づくのは――考えてみると当たり前のことなのだが――モビリティ(移動性)こそが、携帯電話と映画の相性の良さを保証しているということである。福田は低予算映画の枠組みの中でも工夫を凝らし、若い俳優たちの柔軟な身体やロケ地の特性を活かして躍動感溢れるアクション・シーンをつくりだしている。そうしたアクションの流れを中断せず、なおかつテンポよく物語を進行させるためには、どのような場所でも、どのような姿勢でも片手が空いていれば使用することができ、さらにアクションと同時並行で遠くの人間と対話させることもできる携帯電話は必須のアイテムなのだ。もしもこれがパソコンであれば、インターネットにアクセスするたびにアクションが途切れ、物語も間延びしてしまうだろう。

 インターネットは、自宅に居ながらにして世界中にアクセスできるメディアとして登場した。先行する電話や電信、写真や映画以上に、特定の場所の制約から逃れられる自由さと速度を備えていたのだ。ところがインターネットが映画に描かれる際には、これと反対の事態が生じる。すなわち、その都度パソコンなどの端末がある所に戻らないとインターネットにアクセスすることができないという意味で、むしろ特定の場所の制約を強く受けてしまうことになるのだ。

 

学校裏サイト [DVD]

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