誰もが映画監督(映像作家)になり得る時代
まったく新しい時代の始まりだ。
わたしたちはいま、誰もが映画監督になり得る世界に生きているのだ――。
このような希望に満ちた言葉が唱えられるようになったのは、一体いつ頃からだろう。つい最近のことのように思う者もいるかもしれないが、実はその歴史は長い。1920年代にはすでに、一般家庭用の映写機・カメラ・フィルムが開発され(小型映画)、人びとを魅了していた。それを手にすることができたのはまだ富裕層中心だったとはいえ、事実上、誰もが映画監督になり得る世界はこの時すでに実現していたのだ。
映像文化史家の松本夏樹氏が所有する大正時代のフィルムには、実写映画の画面上に子どもが一コマ一コマ絵を描き、ちょっとした手描きアニメーションを実現させたものがある(第40回イメージライブラリー映像講座「幻燈及活動寫眞大上映會-日本Animeのルーツを体験する-」、2012年)。これなど、あえて今風の言葉を使うならまさにMAD動画の先駆けであると言えるだろう。
もちろんその後も、ビデオの普及やデジタル化、インディーズ映画や学生映画の流行、インターネットによる動画配信サービスの登場など、新たな映像メディアやプラットフォームが現れるたびに、誰もが映画監督(映像作家)になり得るという主張は――時には映画のデモクラシーという夢の実現のために、時には商品を売るための宣伝のために――繰り返されてきた。それは昨日・今日に言われ始めたことではなく、20世紀初頭から現在まで、映画の歴史と並走してきた言葉なのだ。
とは言えそこから短絡して、巷で喧伝される「新しさ」など過去への無知でしかないのだと断定してしまうこともまた、別の意味で愚かな振る舞いであるだろう。新たな映像メディアやプラットフォームの登場・普及のサイクルは、決して同じことの繰り返しではなく、その都度映画のありかたに質的な違いを生み出してきたはずである。そうした変化を無視して、「新しさ」をはなから認めない態度をとることは――物語や主題を読み解くにせよ、画面の運動のみに注目するにせよ、「映画」とは何かを問うにせよ――変化を変化と気づくこともできない、己の見る目のなさを告白することと同義なのだ。