Camera-Eye Myth/郊外映画の風景論
neoneo web|Camera-Eye Myth / 郊外映画の風景論 第1回
neoneo web|Camera-Eye Myth / 郊外映画の風景論 第2回
ドキュメンタリーを中心としたカルチャー情報・批評を発信する「neoneo web」で、短編動画と論考をセットにした連載を始めることになりました。毎月更新、全十回を予定していますので、最後までおつき合い頂けましたら幸いです。テキストと動画は上記のリンクから見る(読む)ことができます。また、動画は以下から見ることも可能です。
Camera-Eye Myth Episode.1 Authors / Memory ...
Camera-Eye Myth Episode.2 Fathers(1 ...
『新景カサネガフチ』、『土瀝青 asphalt』と同様に、「Camera-Eye Myth」も朗読を菊地裕貴さん、音楽を田中文久さんにお願いしています。映像無しで、音声だけ聴いていたいと思うほど、素晴らしい仕事をしてくださいました。心から感謝です。
この企画は、昨年、neoneoの編集主幹である萩野亮さんから連載の依頼を頂いたことがきっかけで始まりました。ちょうど同じぐらいの時期に、2013年に書いた論文「映画による場所論——〈郊外的環境〉を捉えるために」について、いつもお世話になっているsさん(Twitter ID @noirse)から「これは論文ではなく映画で見たい」という意見を頂いたこともあり、では連載でそれを実践してみてはどうだろうと考えて萩野さんに提案し、脚本と論考を書き始めた、という経緯があります。
連載自体ももちろんですが、論考の中でも触れている参考文献も、ぜひ読んでみてほしいです。とりわけ、この連載に大きな影響を与え、また目標ともなっているものを、以下に挙げておきます。
大場正明氏による、アメリカのサバービア・ムービーを網羅した労作。郊外と映画の関わりについて考えるときに、絶対に欠かせない名著ですが、残念ながら絶版になっています。大場氏のサイトで全文が掲載 されていますので、そちらをご覧下さい。「郊外映画の風景論」の背景には、『サバービアの憂鬱:日本版』を書いてみたいという欲望もありました。今回の、全10回の連載ではとてもすべては書ききれないですが、いつか独立してひとつの本(か何か)にまとめることができれば良いなと思っています。
郊外論にかんして、また場所や風景について考える上で、私が多大な影響を受けてきたのが若林幹夫氏の著作。中でも『郊外の社会学』は、これまでの郊外論の主要な論点と問題点を おさえつつ、それらの一概に否定してしまうのではなく、ではなぜそのような言説が郊外に対して形成されて行ったかを丁寧に追っていくもので、「郊外映画の風景論」は完全にこの方法論の応用編(映画への)であると言えるでしょう。
昨年刊行された『モール化する都市と社会』も非常に参考になります。ショッピングセンタ—/ショッピングモールを読み解いていくために用いられる若林氏の「均一な多様性」や「透過性」、南後由和氏の「スクロールするまなざし」といった概念は、モール論に留まらない有効性・有用性を持っているように思います。
なぜこれをドキュメンタリー媒体で掲載するのか。わたしは松本俊夫氏が著作『映像の発見』において副題を「アヴァンギャルドとドキュメンタリー」としていることがとても重要だと考えています。実験的な思考とドキュメンタリーは必然的に結びつく……じっさい映画『薔薇の葬列』は、理想的な実験映画であり、劇映画であり、ドキュメンタリーでした。