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揺動メディアについて。場所と風景と映画について。

揺動映画の誕生 ガブリエル・ヴェールと揺動映画の歴史

揺動メディア論

 

 映画の歴史について語るとき、最初に必ずと言って良いほど登場してくるのがリュミエール兄弟『工場の出口』と『ラ・シオタ駅への列車の到着』の二作である。では、「揺動映画史」なるものを書いてみようとしたときに、この二作に匹敵するフィルムが存在するだろうか。つい最近、わたしはこの問いに即答できると思えるようなフィルムに出会った。インドシナで1900年に撮影された『ナモ村落:駕篭から撮影されたパノラマ』(Le Village de Namo : Panorama pris d'une chaise à porteurs)である。

 


Namo Village, Panorama Taken from a Rickshaw ...

 

 この映画では、移動する駕篭に設置されたカメラが、それを追いかける子供たちをはじめとするナモ村落の人びとの姿を捉えており、世界ではじめてトラックバック撮影(カメラが被写体から遠ざかっていく動きをする移動撮影の技法)を敢行したフィルムであると言われている。当時は「ファントム・ライド」と呼ばれる、列車など乗り物の先にカメラを設置して流れていく風景を撮影した映画が流行していたのだが、本作もそうした流れのひとつに位置づけられるようだ。

 

 1900年という制作年を考えれば、『ナモ村落』がトラックバック撮影の先駆であると同時に、世界最初期の揺動映画であることは間違いない。そしてわたしは、この映画をはじめて観たとき、思わず「ここには揺動映画のすべてがある!」と叫びたくなるような感動を覚えた。実際『ナモ村落』には、その後の百十数年にも及ぶ映画の歴史を呼び起こすような揺動が凝縮して記録されているのだ。

 

 すぐに思いつくポイントを、いくつか挙げてみよう。

 

 第一に、『ナモ村落』には、カメラを運ぶ者と地面とのあいだの揺動が可視化されている。それは、身体——人間、カメラ、駕篭が一体化したものとしての——が揺れ動いた記録であると同時に、その身体が場所によって揺り動かされた記録でもある。世界を対象化し、距離をとって見つめる冷徹な眼を持つように思えるムービーカメラもまた、ある時空間に位置を占め、この世界に巻き込まれて周囲のひとやものと関わり合っており、そうした連携によってはじめて映画が成立するということを思い知らされるのだ。

 

 第二に、『ナモ村落』の揺動が「移動」によって引き起こされていることも重要である。映画史の全体を通じて、揺動は移動撮影と切っても切り離せないほどの関係を結んでいる。もちろん多くの場合それはノイズであり、なるべくユレやブレがないことが「基本」や「理想」とされてきたわけだが、一方で、このように荒々しく画面が揺れることによって生まれるリズムや臨場感といったものが——D・W・グリフィスの『イントレランス』から、現在のほとんどアニメーション化したVFX満載のアクション映画やSF映画まで——いたるところで活用されているのは周知のとおりである。子供たちが縦横無尽に駆け回る運動と、カメラ自体の位置の移動、さらにそれに伴って生じる揺動が絡み合った画面全体の躍動感は、映像が「動くこと」の快楽に満ちている。

 

 第三に、ここに記録されている子どもたちの躍動する身体や豊かな表情は、ジャン・ルーシュがアフリカで撮影した作品群や、マヤ・デレンの『聖なる騎士たち:ハイチの生きた神々』など、将来撮られることになる映像人類学的なフィルムを予感させるものがある。わたしは『ナモ村落』を観ていて、現地の人びとに外側から一方的な視線を向けるのではなく、なるべく村の内部に入り込み、その一員となってカメラを回そうとするような制作者の意志が読み取れるような気がする。それはまるで、マヤ・デレンがヴードゥー教の儀礼に自らも参加して、共に踊るようにカメラを回してみせたときのように。

 

 つけ加えておくと、このような村の人びととの一体感を高めるために効果的に機能しているのが、カメラの視線の高さである。映像作家・山崎幹夫が制作した短編『りりくじゅんび』と同様に、小さな子どもたちを見下ろすのではなく、彼らの目線と同じくらいの高さから撮られているこの映像は、ただ視線の高さが変わるだけでまったく世界の見え方が変わるのだという事実に気づかせ、わたしたちが子どもの頃に見ていた景色を束の間、思い出させてくれるのだ。

 

 ただし、揺動する映像がもたらす臨場感や迫真性が、必ずしもその場所の「真実」や「事実」を映し出しているとは限らないということを忘れてはならない。揺動も嘘をつく。このことは、手持ちカメラによる手ぶれ映像がしばしば「リアリティ」や「ドキュメンタリー・タッチ」という言葉と共に語られ、そうした印象を手軽につくりだすことのできる安易な手法として濫用されていることからも明らかだろう。固定カメラであれ手持ちカメラであれ、揺れのない映画であれ揺れのある映画であれ、必ずどこかに嘘や偏りや盲域があるはずなのだ。

 

 『ナモ村落』を撮影したのは、ガブリエル・ヴェールという人物である。彼は薬剤師から転身し、リュミエール社のもとでメキシコ、インドシナ、モロッコなど世界各地でシネマトグラフの撮影や上映を行い、確認できているだけで77本のフィルムを残した。この撮影本数はアレクサンドル・プロミオに次いで、リュミエール映画のカメラマンの中で二番めの数である。また彼は日本での撮影・上映活動を行っており、その経緯は蓮實重彥が編者をつとめた『リュミエール元年—ガブリエル・ヴェールと映画の歴史』(筑摩書房、1995年)に詳しい。

 

 さて、この初期映画作家の遺したフィルムについて興味深いことを指摘しているのが、映画監督の吉田喜重である。吉田は1995年にヴェールを題材としたドキュメンタリー『夢のシネマ 東京の夢/明治の日本を映像に記録したエトランジェ ガブリエル・ヴェール』を制作し、その中で自ら、ヴェールの撮影の姿勢について語っている。

 吉田曰く、ヴェールはメキシコで、映画が単なる見せ物ではなく、撮る側と撮られる側の非対称性・差別を映し出す残酷な装置であり、権力の表現であることを知った。そのきっかけのひとつは、ヴェールが現地の住民を撮影している最中、別の白人がひとりの女性に無理矢理カメラのほうを向かせようとしたことである。ヴェールが撮影したフィルムは嫌がる女性が白人に頭を掴まれ、顔を上げさせられる瞬間を克明に捉えているが、その瞬間に撮影は中断され、そこでフィルムは途切れているという。

 またもうひとつのきっかけは、ヴェールが、『ピストルによる決闘』(1896年)と、反逆罪の兵士が銃殺される様子を撮影したことである。『ピストルによる決闘』は演出されたフィクションであるが、当時の観客にとってショックは大きく、烈しい怒りの感情を抱かせるものだった。ヴェールはそうした反応に驚き、映像の暴力性を自覚する。ノンフィクションとして撮られたらしい、反逆罪の兵士が銃殺される様子を記録したフィルムのほうが現存していないのは、その暴力性に気づいたヴェール自身の手で廃棄されたからではないかと吉田は推測している。

 


Un duelo a pistola en el bosque de Chapultepec ...

 

 こうした吉田の指摘にどれほど信憑性があるのかは、まだ分からないところがある。そもそも当時を知るための資料が不足していることもあり、今後の調査・研究が待たれる。けれども、ヴェールが『ナモ村落』を撮ったのが、こうしたメキシコでの経験を経た後であることの意味は、今後、真剣に考えるに値することであると思う。