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中村義洋『白ゆき姫殺人事件』2014年


『白ゆき姫殺人事件』予告編

 

化粧品会社のOLが国定公園内で滅多刺しにされ、燃やされるという陰惨な事件が起きた。テレビ番組の契約ディレクター赤星雄治は、友人の狩野里沙子から電話を受け、被害者の三木典子が彼女の同僚であったこと、社内では城野美姫という失踪中の女性が犯人ではないかと囁かれていることを聞かされる。赤星は好機到来とばかりに周辺人物に取材をし、城野を疑惑の人物Sとして取り上げたワイドショーは大きな話題を呼ぶ。それから間もなくして、ネット上では城野の実名や出身校などの個人情報が流出。彼女を犯人と疑わない者たちのバッシングは日に日に過熱していく……。

 

湊かなえによる同名小説の映画化。黒澤明の『羅生門』(1950年)と同様、信頼できない語り手たちによる証言を重ねていくことで、井上真央演じる城野美姫の歪曲された人物像を浮かび上がらせる。ただし『羅生門』における検非違使、すなわち証言の聞き手を担当するのは、有象無象のネットユーザーたちだ。彼らは事件の犯人と並ぶもう一人の「悪役」として描かれる。そもそも真偽不明な情報を受け取って好き勝手に解釈し、警察や法の判断を待たず制裁を加えていくグロテスクさが強調されているのである。

 

映画の終盤、城野の冤罪が確定すると、今度は誤報を流した赤星が私刑=ネット炎上のターゲットとなってしまう。城野と同じく個人情報を特定され、無数の誹謗中傷に晒された赤星は、「自分が自分でなくなる」という感覚を味わう。この言葉は、城野のモノローグであり、映画のキャッチコピーにもなった「私は、私が分からない」と対応しているが、両者のあいだには僅かな違いも認められるだろう。

 

冤罪であるはずの城野が、知人や友人を含む多くの人間に犯罪者呼ばわりされることによって自分自身の記憶や正気を疑い始めるのは、「ガスライティング」と呼ばれる心理的虐待の典型例である。他方、赤星がネットで批判されたのは、あくまで自業自得であり、事実無根の嘘や誤解にもとづく噂を広められたわけではない。それでもなお、彼が「自分が自分でなくなる」と感じることになったのは、おそらく、これまで自分の一部であったものが失われる経験をしたからだ。

 

映画の序盤、赤星は仕事中にラーメンについて呟いたり、取材で得た情報や個人的な推理、感情なども気軽にフォロワーに共有してしまう人物として描かれていた。このときの彼にとって、Twitterは己の内面を外部化した場だ。他者からの注目や賞賛を期待してはいるが、その行為によって生じる数々のリスクの方はまったく考慮していない。Twitterというウェブ空間を、現実空間から独立したクローズドな世界と認識している。他者の呟きも、自分のモノローグ(独り言)の一部であるかのように捉えている。そしてそれゆえ、城野の冤罪確定によってネットユーザーたちが掌を返し、赤星を攻撃し始めたとき、彼はまるで自分自身に裏切られるかのような、「自分が自分でなくなる」かのような感覚を味わわざるを得なかったのである。

 

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