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揺動メディアについて。場所と風景と映画について。

いま、個人映画を観るということ(三)いまこそ飯村隆彦を読/見直す

 

11月23日(月・祝)の文学フリマで頒布される同人誌『ビンダーVol.3』(特集「ゴダールgdgd妖精s」)に参加しています。ブースはキ-05〜06。私は連載「いま、個人映画を観るということ」の第3回「いまこそ飯村隆彦を読/見直す」を書きました。

飯村隆彦という作家を歴史化するのではなく(それについては、すでに優れた仕事が多くありますから)、本連載の当初からの主旨どおり、いま彼の作品を見ることにどのような意義があるのか、同じ映画作家としてどんな刺激を受け取ったのかという、生っぽい作品論を書きたいと思いました。

具体的には、(1)ただひたすらに画面に映るものを見つめるという表象批評的な態度で飯村作品を見直してみる。(2)飯村自身の指示(テキスト)に従って作品を読み直してみる。ところが結果、1と2はある意味で同じ場所に帰着します。すなわち「飯村隆彦」という固有名に。その迷宮的世界に。

 

いま、個人映画を観るということ(三)
いまこそ飯村隆彦を読/見直す

・ハイコンテクスト/ローコンテクスト
・飯村隆彦の「ビデオ記号学
・飯村隆彦の「顔」と「テキスト」
・飯村隆彦の「神話」
・いまこそ飯村隆彦を読/見直す

 


飯村隆彦のDVDアート*DVDArt of Takahiko iimura - YouTube

 


初期ビデオアート集 *EARLY CONCEPTUAL VIDEOS - YouTube