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揺動メディアについて。場所と風景と映画について。

「+ 2014」@Art Center Ongoing

 

Art Center Ongoingでおこなわれていた「+ 2014」という上映会を観てきた。会場では[+]という映画上映運動のDVD+ドキュメント集の先行予約販売を受け付けていて、一冊購入。前回このblogでとりあげた「「実験映画」への疑義、その歴史的前提」というテキストの全編が掲載されているそうで、届くのが楽しみ。

 

さて、上映作品の中では、スクリーンを多重化するようなものに興味を持った。

 

『The Box』は壁面、糸、赤い紙(だったかな?)、風船など、光が投射される支持体が次々に変わっていく。シンプルではあるけれども、毎回支持体の特性が異なっていて、よく練られている。演者の「身体」に頼らないパフォーマンスであるところも魅力的。

 

『In the wake of #2』は自分好みの作風。これも、スクリーンとして機能している被写体をあらためてスクリーンに映し出すという二重性に惹かれた。『Sent på Jorden』でも、冒頭近くに登場する巨大なラッピングマシーン(?)が白いスクリーンを思わせ、また草むらをブンブン飛び回る虫がフェノメナルな透明性をつくりだしている。

 

一方、『Twelve Tales Told』と『AGAINST CINEMA』は悪い意味で昔ながらの「実験映画」的というか、それこそ蓮實重彦の言うような批判がそのまま当てはまってしまう作品ではないかという感想を持った。いま、あえてハリウッドをこのようなかたちで批判することに意義を感じられない(ここまでなら誰だって日常的に考えているのであって、その先を知りたい)。

 

『WALLAW PREVIEW TIME』は上映後の解説やウェブサイトのテキストを読まないとよく分からない。こういう作品は難しい……(どこまでを作中で説明するべきか、自分もいつも迷う)。

 

『LET US PERSEVERE IN WHAT WE HAVE RESOLVED BEFORE WE FORGET』は、ハッとするショットと、少々あざとくないか?と思うショットが半々ぐらい。光のエフェクト(?)はショットつなぎを誤摩化しているように見えてちょっと残念だった。これも作品の文脈をまったく知らずに見たので、背景を知っているともっと違った感想を持ったかもしれない。

 

全体的に非常に懐かしい気持ちで見た。かつてKAVCの映像ワークショップで実験映画/個人映画について学んでいた頃、何度も仲間で自主上映をやった時のことを思い出す。撮影機材や映像の解像度が変わっても、用いる手法や被写体に大きな変化はない。私は当時から、そうした場で見る映画たちへの愛着と反発との間でずっともがいていて、今も誰に頼まれたわけでもないのに一人で勝手にもがき続けていて、おそらく2014年に映画を制作・上映している彼らもそうした「もがき」を抱えているはずで、そういう部分をどうにか共有しながら力をあわせて前に進むことができないだろうか、というようなことを上映中考えていた。