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揺動メディアについて。場所と風景と映画について。

鳥居康剛『杉沢村都市伝説 劇場版』2014年


杉沢村都市伝説 劇場版

 

ネット上で話題を集める「杉沢村伝説」を題材にした、乃木坂46主演のホラー映画シリーズ第3弾(第2弾は『デスブログ 劇場版』)。杉沢村を探す旅に出た義男の帰りを待つ妹の裕子と義男の恋人・亜紀が、義男とその仲間たちが動画サイトにアップした奇妙な映像を目にし、彼らの身を案じて後を追う。


杉沢村は青森県の山中にあるとされ、かつて村民の虐殺事件が起きたとか、訪れた者は二度と帰って来られないといった不穏な噂が囁かれている。杉沢村は実在するという説や、1938年の津山事件や森村誠一の小説『野性の証明』などをモデルにした創作という説、果てはテンプル騎士団の集落説や異世界説など様々な噂が飛び交っており、新聞やテレビでも取り上げられている。


映画では、冒頭に動画サイトを閲覧するシーン、エンドクレジット直前に杉沢村伝説に関する噂話を語るツイート(あるいはチャット)が表示されるシーンを置き、本編を挟み込む構成により、これがネット発祥の都市伝説であることを強調している。

 

杉沢村都市伝説 劇場版 [DVD]

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中村義洋『白ゆき姫殺人事件』2014年


『白ゆき姫殺人事件』予告編

 

化粧品会社のOLが国定公園内で滅多刺しにされ、燃やされるという陰惨な事件が起きた。テレビ番組の契約ディレクター赤星雄治は、友人の狩野里沙子から電話を受け、被害者の三木典子が彼女の同僚であったこと、社内では城野美姫という失踪中の女性が犯人ではないかと囁かれていることを聞かされる。赤星は好機到来とばかりに周辺人物に取材をし、城野を疑惑の人物Sとして取り上げたワイドショーは大きな話題を呼ぶ。それから間もなくして、ネット上では城野の実名や出身校などの個人情報が流出。彼女を犯人と疑わない者たちのバッシングは日に日に過熱していく……。

 

湊かなえによる同名小説の映画化。黒澤明の『羅生門』(1950年)と同様、信頼できない語り手たちによる証言を重ねていくことで、井上真央演じる城野美姫の歪曲された人物像を浮かび上がらせる。ただし『羅生門』における検非違使、すなわち証言の聞き手を担当するのは、有象無象のネットユーザーたちだ。彼らは事件の犯人と並ぶもう一人の「悪役」として描かれる。そもそも真偽不明な情報を受け取って好き勝手に解釈し、警察や法の判断を待たず制裁を加えていくグロテスクさが強調されているのである。

 

映画の終盤、城野の冤罪が確定すると、今度は誤報を流した赤星が私刑=ネット炎上のターゲットとなってしまう。城野と同じく個人情報を特定され、無数の誹謗中傷に晒された赤星は、「自分が自分でなくなる」という感覚を味わう。この言葉は、城野のモノローグであり、映画のキャッチコピーにもなった「私は、私が分からない」と対応しているが、両者のあいだには僅かな違いも認められるだろう。

 

冤罪であるはずの城野が、知人や友人を含む多くの人間に犯罪者呼ばわりされることによって自分自身の記憶や正気を疑い始めるのは、「ガスライティング」と呼ばれる心理的虐待の典型例である。他方、赤星がネットで批判されたのは、あくまで自業自得であり、事実無根の嘘や誤解にもとづく噂を広められたわけではない。それでもなお、彼が「自分が自分でなくなる」と感じることになったのは、おそらく、これまで自分の一部であったものが失われる経験をしたからだ。

 

映画の序盤、赤星は仕事中にラーメンについて呟いたり、取材で得た情報や個人的な推理、感情なども気軽にフォロワーに共有してしまう人物として描かれていた。このときの彼にとって、Twitterは己の内面を外部化した場だ。他者からの注目や賞賛を期待してはいるが、その行為によって生じる数々のリスクの方はまったく考慮していない。Twitterというウェブ空間を、現実空間から独立したクローズドな世界と認識している。他者の呟きも、自分のモノローグ(独り言)の一部であるかのように捉えている。そしてそれゆえ、城野の冤罪確定によってネットユーザーたちが掌を返し、赤星を攻撃し始めたとき、彼はまるで自分自身に裏切られるかのような、「自分が自分でなくなる」かのような感覚を味わわざるを得なかったのである。

 

白ゆき姫殺人事件  Blu-ray

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白ゆき姫殺人事件 (集英社文庫)

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マックス・ニコルズ『きみといた2日間』2014年


『きみといた2日間』映画オリジナル予告編

 

ニューヨークに暮らすメーガンは、婚約者に振られ、就活もうまくいかない閉塞した状況を変えるために出会い系サイト「ロマンス.com」に登録。そこで出会ったアレックと一夜限りのつもりで関係を持つ。翌朝、アレックの無神経な言葉に怒ったメーガンは帰宅しようとするが、夜のあいだに降り積もった大雪のせいで玄関の扉が開かず、アレックと二人、部屋に閉じ込められてしまう。


『セッション』のマイルズ・テラーと『ラブ・アゲイン』のアナリー・ティプトンが主演をつとめた恋愛劇。結婚したカップルの3分の1はネット上で知り合っており、離婚率も低い(「eHarmony」による2005年から2012年にかけての調査)と言われるアメリカの恋愛事情を反映したフィルムとして売り出された。


ネットの利用が何ら特別なことではなく、日常の一部となっている時代を鮮やかに体現するのが、メーガン役のアナリー・ティプトンが見せるずぼらなパソコン操作だ。あぐらをかいて、ノートパソコンを膝の上に乗せてみたり、寝そべって腹の上に乗せてみたり、一時的に傍に置いてワインを飲んだりと、決して安価ではない機材をひたすら雑に扱う彼女の振る舞いは、従来のネット映画の主流であった、うやうやしく椅子に座り、食い入るようにデスクトップ画面を見つめるネットユーザーのイメージを刷新している。

 

きみといた2日間(字幕版)
 

 

ジェフリー・サックス『キラーネット/殺人ゲームへようこそ』1998年

キラー・ネット?殺人ゲームへようこそ?【日本語吹替版】 [VHS]

キラー・ネット?殺人ゲームへようこそ?【日本語吹替版】 [VHS]

 

 

リンダ・ラ・プラントの脚本によるイギリスのTVドラマ・ミニシリーズ(全4話205分)。日本では113分の総集編がソフト化されている。


パソコンを愛好する大学生スコットは、テキストチャットでリッチ・ビッチを名乗る人物と会う約束をする。待ち合わせ場所に現れたのは、ウィリアム・ギブスンを愛読し、コンピュータの知識も豊富な謎めいた美女チャーリー。スコットは彼女に夢中になるが、たちまちのうちに振られてしまう。


傷心のスコットは、アダルトビデオチャットで知り合ったセクシー・セイディから「キラー・ネット」というCD-ROMを入手する。それは「ストーキング」「殺人」「死体処理」「取り調べ」の4ステージから成る完全犯罪ゲームで、一度クリアすると、次は実在する人間の個人情報を入力してよりリアルな殺人ゲームがプレイできるというものだった。


スコットは、チャーリーに弄ばれたばかりか、ネットの伝言板に悪評を流されたことへの恨みから、憂さ晴らしにキラー・ネットに彼女の名前を入力。すると現実に、チャーリーが何者かに殺害される事件が起きてしまう……。


「ゲーム感覚で殺人を犯す」とか「現実と虚構の区別がつかなくなる」というのは、大抵、デジタルゲームへの偏見に満ちた陳腐な批判にすぎない。しかし自分が初めてゲームやネットに触れたときのことを顧みるなら、NPC(ノンプレイヤーキャラクター)が自分の名前を呼んでくるとか、匿名アカウントのみを介した人間関係が生まれるといった、現実と虚構の認識が(ささやかにではあるが)揺らぐような瞬間に高揚感を覚え、何かしらの背徳感を味わっていたこともまた事実だろう。1998年というネット普及期に制作された『キラーネット/殺人ゲームへようこそ』は、そうした魅力をうまくすくい取っている。


例えばキラー・ネットの起動直後、ゲームの舞台を四つの街から選べという指示が出され、スコットが暮らすブライトンの地図が表示されるとき。スコットが出来心でチャーリーの名前を入力するとき。あるいは刑事たちがパソコンの前に集い、やいのやいのと言いながら押収したキラー・ネットをプレイするとき。

 

同作は、プレイヤーの「選択」や「入力」といった行為がウェブ/ゲーム画面に如何に反映されるかを丁寧に描写する。それにより、「ボタンを押すと反応する」(さやわか)というシンプルな原理に備わる快楽が強調されると共に、そうした行為の結果として起きる殺人事件の後味の悪さも倍増するのである。 

池添博、樫原辰郎、小糸一男、里内英司『稲川淳二のショートホラーシネマ 戦慄のホラー』2003年


角川ホラーシネマⅠ 稲川淳二のショートホラーシネマ 予告編

 

稲川淳二のショートホラーシネマ」は、角川書店とジャパン・デジタル・コンテンツの共同製作による短編シリーズ。各作品の冒頭と末尾に、稲川淳二による解説が組み込まれている。


同シリーズは、デジタルコンテンツ流通会社ビットウェイを通じて配信され、自宅のパソコンやファミレス等に設置された端末「プラスe」で有料視聴することができた。計3シリーズ12作品が制作され、後にDVD化。「戦慄のホラー」では、若者のあいだで流行している事象を題材とした4作品が収録されている。


池添博が監督をつとめた「チェーンメール」では、イジメを苦に自殺した友人の名を騙ってチェーンメールを打つ女子高生3人に起きる恐怖が描かれる。当時のカメラ付きケータイの荒い解像度が鑑賞者に想像の余地を与え、死者からのチェーンメールの不気味な印象を強調することに貢献している。


樫原辰郎が監督をつとめた「山の中の忘れ物」では、出会い系サイトで知り合った女を山中に連れ込み、色よい返事をもらえなければ置き去りにして帰ることに快楽を見出していた男の末路が描かれる。「相手の顔が見えない」出会い系サイトは危険な人物と遭遇するリスクがあるというのはよく聞く教訓話だが、同作では、加害者側の男もまた「相手の顔が見えない」ために恐怖を味わうという一捻りが加えられている。

 

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白石晃士(構成・演出)『集団自殺ネット』2003年

 

集団自殺ネット [DVD]

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白石晃士と演出助手の栗林忍が、自殺系サイトや自殺志願者たちに取材するフェイクドキュメンタリー。ネット上に現れては消えを繰り返し、それを見た者は希死念慮に囚われるという「奇妙な映像」の噂の真相に迫る。


最後に映し出される「妙な映像」は肩透かしだが、いかにもありそうな自殺志願者のウェブサイトやイラストギャラリー、BBSへの書き込み内容など、一瞬表示されるだけの細部の作り込みに力が入っており、2000年代初頭の日本のインターネットの空気をよく伝えている。

野口照夫『たとえ世界が終わっても Cycle soul apartment』2007年


たとえ世界が終わっても(予告編)

 

余命数年を宣告された真奈美は、自殺サイトの管理人・妙田に連絡を取り、死にたい者たち同士で集まる。ところが、妙田が見たかったテレビドラマの最終回について語り始めたことをきっかけにして、参加者たちがこの世に未練を感じ始め、結局、集団自殺は決行されなかった。真奈美は会社の屋上で一人飛び降り自殺を図るが、そこに妙田が現れ、「あなたに助けてもらいたい人がいる」と奇妙な提案を持ちかける。


短編映画や深夜ドラマで名を馳せた野口照夫の長編初監督作品。ネットの自殺サイトが「前世の記憶」をめぐる奇妙な物語世界へと観客を誘う扉となる構成は、『自殺サークル』(園子温、2002年)や『ヴァンパイア』(岩井俊二、2012年)と共通しており、それはまた、出会い系サイトをきっかけとする数多の恋愛映画の変奏でもあるだろう。