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揺動メディアについて。場所と風景と映画について。

ブルーノ・ボーセナット『ブラッドゲーム』2016年


ブラッドゲーム

 

一部の富裕層のみが知る闇のインターネット「ダークウェブ」。そこでは日々、武器や偽造IDの売買、児童ポルノやスナッフフィルムの配信がおこなわれている。謎の武装集団に拉致されて「人間狩り」の標的となったイローナは、10万ドルを払って狩りに参加したハンターたちの追撃から逃れ、無数のカメラが設置された森からの脱出を図る……。


森林地帯での殺人ゲーム配信という物語と舞台設定は、おそらく『監獄島』(スコット・ウィパー、2007年)や『ハンガー・ゲーム』(ゲイリー・ロス、2012年)を意識してのものだろう。だが『監獄島』が元WWEレスラーのストーン・コールド・スティーブ・オースチンのアクションを見せ場にしたり、『ハンガー・ゲーム』がゲームに熱狂する富豪や視聴者のドラマにも目を向けるといった趣向を凝らしているのに対して、『ブラッドゲーム』はそれら先行作品との差異化を図れるような独自性を打ち出すことができていない。細部に関しても、ハンターが頻繁かつ無防備に覆面を着脱するなど、このゲームが「監視」され、「配信」されているという設定を無駄にしてしまうような描写が目立つ。

 

ブラッドゲーム [DVD]

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ノア・バームバック『フランシス・ハ』2012年


映画『フランシス・ハ』予告編

 

2000年代におけるアメリカ・インディペンデント映画の新潮流「マンブルコア」の代表的作品の一つ。ニューヨークを舞台に、グレタ・ガーウィグ演じるダンサー志望のフランシスと友人たちの日常が描かれる。


フランシスは喧嘩別れした元同居人のソフィーと再会し、寮のベッドで語り明かす。ソフィーが婚約を機に移り住んだ東京での生活にうんざりだと愚痴をこぼすと、フランシスは「ブログじゃ楽しそう」と言い、ソフィーは「暗いとママが嫌がる」と返す。フランシスが(直接連絡はしないものの)密かに親友の動向を気にしていたことが短いやり取りのなかで表現されており、そのためのツールとしてブログが効果的に用いられている。

 

 

 

コリーン・バリンジャー、クリストファー・バリンジャー(原作・制作)『ヘイターはお断り!』2016年


Haters Back Off - Season 2 | Official Trailer [HD] | Netflix

 

Miranda Sings - YouTube

 

Netflixオリジナルドラマ。自身の才能を過信し、有名になりたいと願うミランダ・シングスが、YouTubeチャンネルを開設したことを発端に、彼女とその家族が巻き起こす騒動が描かれる。2016年にシーズン1、2017年にシーズン2が製作された。


ミランダ・シングスは、歌手・コメディアン・女優のコリーン・バリンジャーが生み出した架空のYouTuber。バリンジャーは2008年にYouTubeチャンネルを開設し、ぎょろりとした目に歪ませた口元、真っ赤なリップを塗りたくり、有名楽曲の音痴なカバーを歌うミランダ・シングスを自作自演した。この強烈なキャラクターは一躍スターダムにのし上がり、2018年現在のチャンネル登録者数840万人超、2016年にはフォーブス誌による「世界で最も稼ぐユーチューバー」の9位に選ばれている。


このように、現実にはこれ以上ないほどの成功をおさめたYouTuberが、ドラマでは底辺YouTuberとして描かれていることに、妙な居心地の悪さがある。

 

『ネット有名人』では、ウェブ空間の人気者が現実空間では変わり者というギャップが「笑い」へと変換されていたが、『ヘイターはお断り!』のミランダはウェブ空間でも現実空間でも邪魔者扱いされ、ブレイクの兆しが見えてもすぐさま潰える。ミランダを親身に支えるのは母親と妹、ジム叔父さん、ミランダに片思いの青年パトリックだが、彼らもミランダの唯我独尊な振る舞いに耐えかね、しばしば匙を投げてしまう。作中のミランダにはどこまで行っても救いがなく、その「痛さ」ばかりが強調されてしまっているように見えるのだ。

 

もしかすると、シーズンを重ねるなかで状況が好転していく構想があったのかもしれないが、残念ながらシーズン2での打ち切りが報じられている。

マイケル・J・ギャラガー『ネット有名人』2016年


INTERNET FAMOUS - OFFICIAL TRAILER 2016

 

Internet Famous | Netflix

 

ネットホラー『スマイリー』で注目を集めた1988年生まれの映画マイケル・J・ギャラガーが手がけたコメディ。

 

高視聴率を誇る人気テレビ番組「クリス!ショー」が第5回ウェブスター賞を開催し、ネット上の有名人5名がファイナリストに選ばれた。一人目は、愛娘ルーシーのドッキリ動画制作をおこなうデール・ハンド。あの手この手でルーシーを怖がらせて視聴者数を稼ぎ、近頃はグッズ販売にまで手を出している。二人目は女優志望のベロニカ・デッカー。ふざけてダンスを踊る姿をYouTubeに投稿され、その映像を素材としたMADムービー「ワブリー・ウォーク(よろよろ歩き)」が大流行して不本意な注目を浴びることになった。3人目は、MVのパロディ動画やデイリーブログの公開で熱狂的なファンを集めているトーマス・バターマン。「パロディ・キング」を自称し、ファンを「従業員」と呼び、彼らは自分のためなら何でもしてくれると豪語する。4人目は「口コミ動画の館」を運営するアンバー・デイ。セクシーなコスチュームでコメディショーを披繰り広げ、ファンの9割以上が男性であるという。5人目は映画監督を名乗るデニス・ワッサーマン。猫のミスター・ブランケットを撮影した動画が評判になるが、それが彼自身の作家性に因るものではなく、ミスター・ブランケットの人気なのだということを認めようとしない。彼らはウェブスター賞受賞者に与えられる「自分自身の番組を持てる」権利を求めて、「クリス!ショー」の会場に集うが……。

 

『ネット有名人』における「笑い」は、ウェブ空間で見せる振る舞いが現実空間に現れた際に生じる軋轢によってつくり出されている。ネット上のコミュニティを喜ばせるためのパフォーマンスは次第にエスカレートし、そのコミュニティに参加していない周囲の人びとを驚かせたり、困惑させたり、ときには激しく怒らせたり呆れさせたりもする。同作に登場するエピソードは、動画共有サービスの普及とYouTuberの出現以後の社会で「いかにもありそう」なものばかりで、日本でもアメリカでも同じような状況があるのだなと感慨深い気持ちを抱くだろう。

 

ネット有名人たちのパフォーマンスを評価し、序列をつける権威が「テレビ番組」であることは、本作にとって大きな欠点である。オールドメディア(テレビ)の側が一般常識を担い、ニューメディア(ネット)の住人の非常識や世間知らずを笑うという構図がどうしても形成されてしまうからだ。

 

とはいえ、作中にはそうしたネット映画の紋切り型を覆す要素も含まれている。一つはウェブスター賞の審査員3名。それぞれ歌手・司会者、芸能プロダクションの副社長、コメディ俳優という肩書きを持つ彼らは、テレビ側の住人であるが、ファイナリスト5名をしのぐ強烈な個性と天真爛漫さで場をかき乱す。ネットだけでなく、テレビもまた奇妙で特殊なコミュニティを形成してきたのだという相対化の視点が感じられる。

 

そしてもう一つは、会場に集ったファイナリスト5名が、互いにほとんど関わりを持たないこと。立場的にはライバルであるはずだが、敵対するでも嫉妬するでもなく、端から興味がないといった雰囲気だ。ここでは、「ネット上」や「ウェブ空間」といった言葉で十把一絡げにできないネットの多層性が示唆されている。たしかに彼らは同じ「ネット有名人」かもしれないが、ふだん関わっている人間も、所属しているコミュニティも、価値観や目指す方向も、それぞれまったく異なっているのである。

『ジャスティス・リーグ』について


JUSTICE LEAGUE - Official Trailer 1


映画を見るモチベーションががっつり下がっている。原因はもちろん『ジャスティス・リーグ』を見てしまったから。いや、優れた3D映画は原理的に見ることができない(涙でメガネが曇るから)。この後、いかなる映画が自分を高揚させてくれるというのか?

 

ジャスティス・リーグ』の不幸は、紆余曲折のあった製作過程や、どこがザック・スナイダーの担当でどこがジョス・ウェドンの担当なのかといった下世話な興味のために多くの言葉が費やされてしまったことだ。好んで分断を生じさせ、一つの映画として見ることをやめてしまった。

 

しかしぱっと見の印象とは裏腹に、スナイダーとウェドンはそれほど対極的な作家ではない。確かに経緯を考えると仲は良くないかもしれないし、制作の方法論も大きく異なるが、目指す所はかなりの程度一致している。

 

例えば両者の代表作『バットマンvsスーパーマン』と『アベンジャーズ:エイジ・オブ・ウルトロン』は、それぞれスーパーマンとビジョンという超越的存在の出現、彼らに「感染」する人間たち、神話としてのヒーロー映画といった共通のモチーフを持つ、まるで双子のようなフィルムである。

 

違いばかりを探し回って、フィルムをバラバラに切り裂くと、こうした基本的な共通点を見過ごしてしまう。バットマンとスーパーマンが共に「主役」であるように、『ジャスティス・リーグ』もどちらか一人の作品として見るのではなく、あくまで「二人の監督作品」として見ることが必要だろう。

 

ザックによるディレクターズカットが見れるのならいつか見てみたいとは思うが、それが存在したからと言って現行の『ジャスティス・リーグ』が否定されるわけではない。その都度新たな『ジャスティス・リーグ』が生まれるという、ただそれだけのことだ。

 

スーパーマンとビジョンが巨大なブラックボックス(聖なるマクガフィン)となり、そこを爆心地として変容する世界を描いてきた両者の路線は『ジャスティス・リーグ』にも引き継がれている。スーパーマンの復活は『AoU』のビジョンを反復する。富豪の回心、正義への信頼、雷による再起動。

 

ジャスティス・リーグ』は長らく過小評価され続けてきた「正義」が本来持つ途轍もなさ、そこから生じる畏怖をフィルムに焼き付ける。全編を通じてもっとも恐ろしさを感じる瞬間が、翔けるフラッシュを見つめるスーパーマンの「顔」であるのはきっと誰もが認めるところだろう。

 

死んだ人間を復活させることの是非が問われるなか、一足早く奇跡に立ち会ったバットマンだけが知っている、スーパーマンは人間ではないと。映画の冒頭で語られるように、希望の光は絶えぬ川の流れのように回帰し続ける。車のキーのように、無くしても探せばすぐ傍にある。

 

ステッペンウルフの不甲斐なさは、『ジャスティス・リーグ』が光と闇、善と悪の二項対立図式を否定していることを示している。同作において悪とは、プログラムに生じる「バグ」であり、腐臭に群がり喰い合う者たちであり、それゆえあらゆる場所に発生し得るが、やがて自滅せざるを得ない。

 

ここで『ジャスティス・リーグ』と『The OA』は、無差別で理不尽で無根拠なジャスティスという主題を共有する。我々は理由なき悪意や殺意に曝されることにばかり怯えているが、人間に知り得るなんの理由も前触れもない奇跡や救いが訪れることへの畏怖を長らく忘れていた。

 

ジャスティス・リーグ』のヒーローは己の進むべき道を直進する。密室的空間を舞台に、障壁をぶち抜いて駆け抜けるアクションを幾度も反復する。悪が彼らを壁に叩きつけ、停止させようとしても、決して止まることなく、迂回することもなく、ひたすら直進し続ける。こんなの泣くしかない。

 

とりあえず2017年は『ジャスティス・リーグ』『グレートウォール』『アサシン・クリード』『パワーレンジャー』『TF 最後の騎士王』と、とんでもない映画をわんさか見ることができて素晴らしかった。この辺りの映画はすべて、一つのシネマティック・ユニバースを形成している。

 

人間から遠く離れて――ザック・スナイダーと21世紀映画の旅

人間から遠く離れて――ザック・スナイダーと21世紀映画の旅

 

 

大木裕之 個展「ltbt~理/無理の光」at TAV Gallery 関連プログラム

 

12月17日(日)16時より、大木裕之さんの個展「LTBT~理/無理の光」(於TAV GALLERY)で大木さんとトークをすることになりました。同日は中原昌也さんのライブもあるとのこと。急な決定でドギマギしていますが、おそらく年内最後のイベント出演ですので、良い締めくくりができればと思います。ぜひぜひお越しください。

 

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『サイコパスの読書術 暗闇で本を読む方法』PV制作

 

書評家・永田希さんの単著『サイコパスの読書術 暗闇で本を読む方法』刊行にあわせてPVを制作しました。

 

音楽はぽみさん、イラストはゆずささん。 曲がすばらしいのはもちろんのこと、映像もシンプルですがとても気に入っています。「積ん読」という言葉に何か特別な響きを感じるすべての人に向けてつくりました。

 

サイコパスの読書術』は以下のサイトから購入できます。

https://n11.stores.jp/